2011年7月13日水曜日

全国目加田会の歴史研究会

「目加田」という珍しい姓をもつ一族が集まり、何かしようと5名の目加田さんが東京で発起人会を開いたのが1978年のことです。発起人の一人だったのが、私の高校時代の漢文の教科書を著者だった早稲田大学教授の目加田誠先生とか。
そして、1987年4月11日に全国目加田会「目加田の集い」が目加田生誕の地、滋賀県愛荘町 目加田公民館で開催されました。
私が初めてその存在を知ったのは1990年(平成2年)2月の第2回「目加田の集い」へのお誘いでした。当時は沖縄在住で、日程的にも無理があり、出席できませんでしたが、ずっと、記憶の片隅にありました。それからしばらく、案内もなく、どうなったのかなと思っていました。

縁は不思議なもので、京都の釈迦谷に事務所をおいたのが2007年8月。その時に、折に触れ交流のあった彦根市の目加田宗彦さんに挨拶を兼ねて会いに行きました。残念ながら、その年は全国目加田会のイベントは無く、翌年になるとのことでした。

事務局からの案内もなく、行きそびれていたところ、2009年5月に前職時に先輩だったパイイ研究所の廣森日出夫氏に誘われて京都泡盛同友会に参加しました。京都にいて「泡盛」と名がつくイベントに参加しないわけにはゆきません。泡盛=沖縄と京都が交流するイベントです。その事務局長兼世話人をやっておられたのが松田商事の松田明社長で、その奥様が目加田村の出身者だったのです。奥様が私の名刺をご覧になって、懐かしさのあまり、お電話をいただき、目加田会の資料もコピーして送っていただきました。聞くと、目加田村の事務局をなさっている方と幼馴染とか。

これは何かのメッセージとばかり、スケジュールをやりくりして、何としても参加しなければと思い、さっそく、2010年11月13日(土)~14日(日)の第12回全国目加田会「目加田の集い」に参加できたのでした。初めての先祖生誕の地、近江鉄道「豊郷駅」からタクシーで10分のところにありました。町村合併を繰り返し、今は愛荘町目加田となています。
初めてお会いするご先祖生誕の地で、本家筋、分家筋の皆様とどのような顔をしてお会いすればよいのか、とても緊張しました。よくよく考えてみると、自分の家系すらわかっていないのです。
また、新しい課題と出会い、探究心が頭をもたげて来ました。

今年は、2回目の参加なので、昨年ほどの緊張感もなく、顔見知りも増えて、精神的にも余裕が出てきました。今年はJRで行こうと思い、記念に京都から各駅の写真を撮りました。
 京都をでると最初の駅は「山科駅」(写真右)。ここは湖西線、敦賀からは北陸本線に接続しています。












山科駅を出ると「大津駅」(写真上)につきます。ここはもう滋賀県です。 
 大津駅の次は「膳所駅」(写真右)です。これで「ぜぜ」と読みます。
 膳所駅をでると「石山駅」(写真左)です。石山寺で有名です。石山駅の次は瀬田の唐橋で有名な「瀬田駅」ですが、カメラのシャッターチャンスを逃して、写真は取れませんでした。
 瀬田駅を出ると「南草津駅」(写真右)です。当然次は「草津駅」となるのですが、これまた上手くタイミングが合わず、写真は有りません。草津駅は東海道五十三次の五十二番目の草津宿で有名です。 
 草津駅をでると「栗東駅」(写真左)。栗東は競走馬を育てる場所というイメージがありますが、駅からはその気配は有りません。
 栗東駅の次は「守山駅」(写真右)です。守山はほたるで有名で、ほたるの森には一度行ってみたいものだと思っています。












  ほたるの守山駅をでると「野洲駅」(写真上)です。ここに昔はIBMの野洲工場があり、就職試験を受けに来た記憶がありますが、当時はとんでもない田舎だと思っていましたが、今では大阪から新快速で1時間圏内の便利なところです。野洲駅をでると、電車の本数も極端に少なくなり、30分に一本程度になります。

野洲駅をでると「篠原駅」(写真上)ですが、このあたりから一気にローカル色が出てきます。

「近江八幡駅」(写真左)です。三井アウトレットパークにはこの駅からが近道です。






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