2011年8月31日水曜日

今年は「くまぜみ」が多いらしい

京都の送り火が終わったころから、庭や道路にセミの死骸が増えているように思います。毎日、2~3匹見かけます。なんとなく、今年は多いなあと思っていました。
庭師さんが来ていたので、雑談していると、「今年は毎日セミの亡骸をみかけますよ」というと、庭師さんも「そういえば、ベテランのおじいさん(庭師)もことしはクマゼミが多いと言っていました。あまり気にかけませんでしたが、何かあるんですかね」と言われました。

セミの寿命は7日と短いと言いますが、それが多いということは、幼虫の時から多いということなので、生態系の変化が起きているのかも?

2011年8月28日日曜日

学校をつくろうの自主上映会

8月27日に「学校をつくろう」の自主上映会が彦根市文化プラザであり、参加してきました。全国目加田会のメンバーの方もたくさんきておられ、楽しく過ごすことができました。
原作は志茂田影樹さんの「蒼翼の獅子たち」で、映画は専修大学の創立者4名の活躍を描いており、専修大学の130周年記念事業として作られたものでした。

今回は原作者の志茂田影樹さんが、あのド派手なファッションで登場され、講演会・サイン会もあったので、サインももらってきました。意外だったのは、志茂田影樹さんのあのファッションは子供たちに「読み聞かせ会」を13年にわたってやっておられ、子供たちが興味を引くようにはじめられたとのことでした。いまも、3.11以降、何度も被災地に入り、読み聞かせをやっておられるとのことで頭が下がりました。

映画は彦根藩士の相馬永胤(そうまながたね)、静岡藩士の目賀田種太郎(めがたたねたろう)、桑名藩士の駒井重格(こまいしげただ)、薩摩藩士の田尻稲次郎(たじりいなじろう)の4名が幕末から明治維新にかけてアメリカに留学し、法律と経済を学んで、欧米列強と取り交わした不平等条約を改正するために日本語で法律と経済を教えて、整備してゆかねばならないと志をたて、苦難の末に日本で初めての専修学校(のちの専修大学)を設立するまでを描いています。

主役には相馬永胤演じる三浦友和さんと山口百恵さんの次男 三浦貴大さん、脇役を固めるのは、目賀田種太郎を演じる役所広治さんの長男 橋本一郎さん、駒井重格を演じる柄本明さんの次男 柄本時生さんと2世の役者さんが多数出ていることでも話題になりました。

関西では9月3日(土)13:00~16:00に池上郡豊郷町の岡村本家にて自主上映会が開催されます。
青雲の志に触れるのもよい刺激になると思います。ぜひご覧になってください。

友人の日本画展

かっての職場の友人が絵描きとしてやっていくことを決めたのが約25年前、今は立派な画伯になっています。その友人から、大阪・守口市の京阪百貨店で8月18日~24日まで個展を開くという案内が届いたので、25年ぶりに会いに行ってきました。「信濃一慶」といいます。
絵を見て、彼の性格そのもののだなと思いました。優しく、慈愛に満ちた日本画を描いています。
超一流の有名画家ではありませんが、一作は手にしておきたいなと思い、お気に入りを買い求めました。
安定したサラリーマン生活にピリオドを打ち、不安定な画家生活に入るというのは、なかなかできるものではありません。自分の才能と運だけが頼りですから、大変だったろうと思います。奥様も職場結婚だったのでよく知っていますが、本当に立派だと思います。自分なりの画風を確立しつつあり、固定ファンもついているようなので、「時間がかかったが、やっと見えてきた」と控えめな笑顔で語っていたのが印象的です。

50周年祝賀式

大阪の関係先が8月で創業50周年を迎え、8月20日にホテルニューオータニ大阪で祝賀会があり、ご招待いただき、参加してきました。
一口で50年と言っても、創業から順風満帆で現在にいたっている企業は一つとしてありません。メイン得意先の倒産、本社工場の火事等、いつつぶれてもおかしくない出来事が次から次へとやってきます。その中で、大事にするのは、社員であり、商品です。これらがあって、初めてお客様に喜んでいただけるし、お役にたつこともできます。
創業者の志と後継者の思いが一致して、初めて社員はついてゆくものだとつくづく思いました。そして、50年続いた会社は100年、200年と継続し、老舗企業になってゆきます。
創業者から後継者へのバトンタッチが老舗企業になるにあたりもっとも重要なつなぎ目だと核心した一日でした。おめでとうございます。

京のほんまもん塾でビジョンづくり

京のほんまもん塾という協同組合があります。京のほんまもんの食文化を普及させようと、こだわりの物づくりをしている人たちの組合です。その組合が発足10年目となる来年までに、明確なビジョンを打ち立てて、前進しようと8月19日にビジョン作りを行いました。
7月に1回目に現状認識と価値判断基準の明確化を行い、8月は2回目で、目標設定と今後の行動計画と話し合いました。

ビジョンを明確にすることによって、皆の思いが一つになるよう取り組みたいと思います。

五山の送り火

京都五山の送り火が8月16日20:00から始まりました。これは釈迦谷から見える五山の送り火のうち、大文字と舟形です。
東山に燃える大文字

北山に燃える舟形
お盆でお迎えした精霊をあの世に送り返す行事で、祇園祭同様に夏の京都の大きな行事ですが、今年は3.11で岩手県の陸前高田市の松を使う、使わないと二転三転して問題になりました。
今年は、なんとも後味の悪い五山送り火となりました。

ちなみに、五山とは如意が岳の「大文字」、松ケ崎の「妙法」、船山の「船形」、金閣寺の大北山「左大文字」、嵯峨鳥居本の曼荼羅山の「鳥居形」の5つをさします。
全部を見るには四条通り界隈の高いビルの屋上ぐらいしかないだろうなと思います。

基本は精霊を送り返すためのものなので、どれかの送り火に手を合わせれば満足です。

国土交通省表彰受賞祝賀会に参加しました

沖縄の関係先企業が国土交通大臣の表彰を受賞されました。那覇市の高級ホテル「ナハ・テラスホテル」で授賞祝賀会があり、お祝いに駆けつけました。
おめでとうございます。どんな賞でもそうですが、受賞するとなると、日頃の功績だけでなく、組織への貢献、人間関係や人柄が問われます。

国土交通大臣表彰は紋入り杯でしたが、建築士会表彰はレオナルドダヴィンチの肖像画の盾でした。 


2011年8月10日水曜日

しろあり駆除工事

いろあり防除の5年間の保証期間が切れたので、更新検査と工事並びに地面の防水工事を行いました。
炎天下の中、座敷の一畳だけめくり、そこから床下へ。服装は福島の原発事故現場のような全身防御服を着て、ゴーグルと防塵マスクをつけて、すきまをテープでふさいで、床下に潜っての作業は過酷を極めると思う。ありがたいな。床下は何がいるかわからないのに、勇気ある人たちだなと感心しました。外は35度以上の猛暑日でもあり、並の労働環境ではないと思います。
薬剤散布は1か月前に終わっているので、今日は地面に防水シートを敷き詰めて、その上に吸湿砂をまんべんなくまくそうだ。後で写真やビデオで見せていただいたが、床一面真っ白な銀世界に変わっていました。
その日から、定期的に除湿機で水分を吸収していましたが、その必要もなくなり、フローリングや畳がさらさらになっているのを実感しました。
吸湿砂は半永久的に持つそうで、これで、この工事代金は安いなと感じました。
山のふもとの家は常に水との戦いで、湿気が多くカビの発生に気を使うが、これで一安心というところです。大成しろありさん、ありがとうございました。

2011年7月13日水曜日

山本能楽堂ってどんなとこ?

大阪で歯科クリニックを経営されている医療法人真生会の福田真一先生は歯科だけにとどまらず、生活習慣病を直さなければ健康な体を手に入れることができないという信念から、「未病を治す」事に力を入れておられます。
そのためには、歯周病を予防して、二度とかからないように習慣化する事が大事なので、「医者と患者が共同で健康になる作戦、医患共同作戦」と銘打って、「11カ条」を提唱されています。
その一環として、ストレスコントロールの必要性から、心の健康も大事にされ、音楽や芸術にも造詣が深い先生です。
その福田先生の講演とサウンド・セラピー・コンサートを全国で開催されているアイカさんのコンサートを大阪でもやろうと思い、会場を探していたのですが、なかなか「これっ」というところがなく困っていました。フェスティバルホール、フェニックスホール、イシハラホール等、大阪にはコンサートホールはたくさんありますが、規模と趣旨から、会場を決めかねていました。

 アイカさんは伊勢神宮でもコンサートをやっておられるので、もしかして能楽堂でもよいかなと思って探したところ、山本能楽堂さんと出会いました。
能楽堂はすべて個人の持ち物だそうで、能楽師が自宅に舞台を併設して、能を披露して生計をたてるところから能楽堂が誕生したようです。

11月13日(日)13:30から山本能楽堂でサウンドセラピーコンサートを開催する予定をしていますので、山本能楽堂の下見をしに行ってきました。
地下鉄御堂筋線の本町駅から行きましたので、本町通りを松屋町筋を超えて二筋目を左折しました。その辻に写真の「パティシエPICCO」という店が目印になります。左折して一筋目を右折すると右手に山本能楽堂がありました。
よく考えてみると、谷町線の「谷町4丁目」の4番出口をでて、谷町筋を北上して一筋目を左折して進むと左手に見えます。こちらの方がずっと早かったです。

京都にも能楽堂は多いですが、大阪にもたくさんあったので驚きました。
能楽堂内は共通の仕様になっているようですが、楽屋の大きいのには驚きました。1階と2階の両方にそれぞれ3部屋づつあり、全部で6部屋が楽屋なのです。能の場合は出演者が多いからなのでしょう。舞台に上る時は白足袋を履かねばなりませんが、それ以外は意外と寛容なのには驚きました。いまから11月賀楽しみです。

全国目加田会 歴史研究会(2)

近江商品の街「近江八幡駅」をでると次は先祖決戦の地、「安土駅」に到着です。
安土は目加田氏が目加田城が築城していましたが、織田信長に明け渡しを命じられて、現在の地、愛荘町に移築したそうです。その後に、織田信長が天下統一の居城として「安土城」を築城したというわけです。 
 安土駅をでると近江商人の故郷ともいえる「五個荘」がある「能登川駅」につきます。ここは伊藤忠商事や丸紅の創業者である伊藤忠兵衛氏の生誕の地でもあります。
 能登川駅の次が「稲枝駅」です。目加田村、今の愛荘町目加田の最寄り駅となります。
ここからタクシーで10分で目加田公民館につきます。
 駅を出たところの風景です。いかにもローカル色豊かで、ほのぼのとしておりますが、タクシーが常駐している立派な駅です。
ここが、目加田公民館の前にある電柱で「目賀田城跡公園」と表示されています。
 歴史研究会の会場となる公民館です。

歴史研究会の風景です。前に見えるのは事務局長の北川雅巳さんです。 
映画「学校をつくろう」の上映会の説明をしている目加田宗彦さんです。
 右の写真の右の方が西澤輝雄さんで、目加田研究者として大著「目加田氏考」をまとめられました。旺盛な研究心に頭が下がります。
西澤先生の横に追われるのが愛荘町教育委員会 学芸員の齊藤慶一さんです。
写真左の方が当主筋の目加田匡夫さんで、御自宅には時の総理大臣 若槻礼次郎が編集した「男爵目賀田種太郎」という書物があり、家系図もきちんと整理されていると聞きます。復刻版賀出版されているので買い求めようと思っています。
ちなみに、若槻礼次郎は大蔵省主税局時代に
目賀田種太郎の直属の部下さったそうな。

全国目加田会の歴史研究会

「目加田」という珍しい姓をもつ一族が集まり、何かしようと5名の目加田さんが東京で発起人会を開いたのが1978年のことです。発起人の一人だったのが、私の高校時代の漢文の教科書を著者だった早稲田大学教授の目加田誠先生とか。
そして、1987年4月11日に全国目加田会「目加田の集い」が目加田生誕の地、滋賀県愛荘町 目加田公民館で開催されました。
私が初めてその存在を知ったのは1990年(平成2年)2月の第2回「目加田の集い」へのお誘いでした。当時は沖縄在住で、日程的にも無理があり、出席できませんでしたが、ずっと、記憶の片隅にありました。それからしばらく、案内もなく、どうなったのかなと思っていました。

縁は不思議なもので、京都の釈迦谷に事務所をおいたのが2007年8月。その時に、折に触れ交流のあった彦根市の目加田宗彦さんに挨拶を兼ねて会いに行きました。残念ながら、その年は全国目加田会のイベントは無く、翌年になるとのことでした。

事務局からの案内もなく、行きそびれていたところ、2009年5月に前職時に先輩だったパイイ研究所の廣森日出夫氏に誘われて京都泡盛同友会に参加しました。京都にいて「泡盛」と名がつくイベントに参加しないわけにはゆきません。泡盛=沖縄と京都が交流するイベントです。その事務局長兼世話人をやっておられたのが松田商事の松田明社長で、その奥様が目加田村の出身者だったのです。奥様が私の名刺をご覧になって、懐かしさのあまり、お電話をいただき、目加田会の資料もコピーして送っていただきました。聞くと、目加田村の事務局をなさっている方と幼馴染とか。

これは何かのメッセージとばかり、スケジュールをやりくりして、何としても参加しなければと思い、さっそく、2010年11月13日(土)~14日(日)の第12回全国目加田会「目加田の集い」に参加できたのでした。初めての先祖生誕の地、近江鉄道「豊郷駅」からタクシーで10分のところにありました。町村合併を繰り返し、今は愛荘町目加田となています。
初めてお会いするご先祖生誕の地で、本家筋、分家筋の皆様とどのような顔をしてお会いすればよいのか、とても緊張しました。よくよく考えてみると、自分の家系すらわかっていないのです。
また、新しい課題と出会い、探究心が頭をもたげて来ました。

今年は、2回目の参加なので、昨年ほどの緊張感もなく、顔見知りも増えて、精神的にも余裕が出てきました。今年はJRで行こうと思い、記念に京都から各駅の写真を撮りました。
 京都をでると最初の駅は「山科駅」(写真右)。ここは湖西線、敦賀からは北陸本線に接続しています。












山科駅を出ると「大津駅」(写真上)につきます。ここはもう滋賀県です。 
 大津駅の次は「膳所駅」(写真右)です。これで「ぜぜ」と読みます。
 膳所駅をでると「石山駅」(写真左)です。石山寺で有名です。石山駅の次は瀬田の唐橋で有名な「瀬田駅」ですが、カメラのシャッターチャンスを逃して、写真は取れませんでした。
 瀬田駅を出ると「南草津駅」(写真右)です。当然次は「草津駅」となるのですが、これまた上手くタイミングが合わず、写真は有りません。草津駅は東海道五十三次の五十二番目の草津宿で有名です。 
 草津駅をでると「栗東駅」(写真左)。栗東は競走馬を育てる場所というイメージがありますが、駅からはその気配は有りません。
 栗東駅の次は「守山駅」(写真右)です。守山はほたるで有名で、ほたるの森には一度行ってみたいものだと思っています。












  ほたるの守山駅をでると「野洲駅」(写真上)です。ここに昔はIBMの野洲工場があり、就職試験を受けに来た記憶がありますが、当時はとんでもない田舎だと思っていましたが、今では大阪から新快速で1時間圏内の便利なところです。野洲駅をでると、電車の本数も極端に少なくなり、30分に一本程度になります。

野洲駅をでると「篠原駅」(写真上)ですが、このあたりから一気にローカル色が出てきます。

「近江八幡駅」(写真左)です。三井アウトレットパークにはこの駅からが近道です。






絵の審査員をやりました

6月28日にベトナム ホー・チ・ミン市から那覇空港に帰国し、その夜は那覇で泊り、その翌日、大阪に向かいました。今日は顧問先での絵の審査員をします。何の絵かというと、「10年後の会社像」を社員全員が絵に描くのです。一人何枚でも応募できるとあって、5点近く出品している社員もいました。全部で122点もあり、その中から選ぶのはなかなか大変です。
審査員は4名。責任重大です。「なんでこの絵がグランプリなん?」とか言われそうで、社員の目を気にしつつも、そこは経営コンサルタント、選んだ正統性を主張しつつ、他の審査員の意見に「なるほど」と納得しながら、3時間近く、議論して、なんとかお役目を果たすことができました。 
果たしてグランプリの行方は? 
どの絵も力作で、素晴らしかったです。ここまで社員を乗せる社長もまた素晴らしい。とても楽しい時間を過ごすことができました。顧問先の社長をはじめ、社員の皆様、ありがとうございます。

これだけの出品があったのだから素晴らしいですね。

2011年7月5日火曜日

ベトナム・ホーチミン市

6月25日~28日までベトナムはホーチミン市に行ってきました。
ホーチミン空港の玄関です。なかなか立派なものです。
 
ベトナム名物、バイクの集団。どこに行くのか、あてがあるのかわからないが、2人乗り、子供を挟んで3人乗り、前を後ろに子供を乗せて4人乗り、大きな荷物を持ってバイクに乗っている。大きな箪笥のようなものをもって乗っている。前髪なくて怖くないのだろうか?

道路の至るところが店になり、キッチンになり、椅子をおけばレストランになる。本当に便利だが、これでスコールが来た日にはどうするだろうと思っている、本当にすごいスコールが降ってきた。



 公共の建物はやはり、社会主義国だけあって赤の旗やのぼりがとても多いのが印象的でした。
 サイゴン陥落時に戦車が入ってきた公園です。サイゴン(アメリカ軍)はハノイ(ソ連)に敗れたこと人じゃります。
 これは子ども病院です。ベトナムでは看護師の数が少ないため、看病するのはもっぱら親の仕事になります。このときは土曜日だったので、両親が子供と一緒に遊んで、昼寝していました。
どこの国も、親は子供を大切にしているなあと感動しました。
 町のあちこちにあるロータリーです。
 韓国企業が建設中の近代的なマンションです。住宅事情を把握する意味でマンションのモデルルームに冷やかしで行ってきました。

 熱心にマンションの説明をしてくれています。